記念日バンザイ No.2
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あの日は、朝から気温がぐんぐん上がり、とても良い天気の月曜日でした。
ちょうど4年前の今日、9時18分。JR福知山線塚口~尼崎にて快速電車が脱線衝突。
楽しいゴールデンウィーク前にその春から知り合った友人を一人亡くした瞬間でした。
前日、私は沿線の研究施設に用事のため居り、その日はそこに泊り込み、翌日彼と一緒にこれぐらいの電車で大学に向かう予定でしたが、実家での用事を思い出し、前日の夕方にその現場を通ったのでした。そのため、事故の映像を見たときのショックといえば何とも言えなかったのを覚えています。
そんな縁があり、これまでこの事故について誰に発表するつもりがあるわけでもなく、「ただ知りたいの一心」で調べ続けてきました。
しかし去年、東京町田で民青同盟に加盟し、その事故について調べ続けてきたことを遠くに住む青年達に発表する場を設けてもらえました。更に興味を持った大学生と一緒に現場訪問をする事までできました。
今年、活動の場を浜松に移し、また同じように現場訪問をさせていただく機会ができました。4年目の現場訪問で感じたこと。また新たな発見についてレポートしたいと思います。(詳しい行動日記的なものは、よっくんの記事と合わせてお読み願います。)
福知山線脱線事故の現場4年目にして初当日訪問
ここが悲劇の現場となった年、線路にはまだ事故車が止まっており多くの人が撤去作業に追われていた。当然マンションの方には入れず、ただただ電車の瓦礫と歪んだ線路を見つめているだけでした。
2年目、連休に入ったある日、仲間内で現場訪問。マンションには入れる状態にはなっていたものの誰も入ろうとせず。道路側から走ってゆく電車を見ているだけでした。
3年目、東京から大学生を1人連れて連休に現場訪問。彼は一人でマンションに入ったものの、自分は気持ち的に入れず。
4年目、当日が初の休日となりぼのぼの班メンバーの よっくん と訪問。当日ということもあり、多くの遺族や関係者の方が献花に訪れており、流れに身を任すような形でマンションの中の方へ、車体を擦りながら走ったであろうガタガタのアスファルトや、壊れた機械式立駐、マンションのコンクリについているキズ等が当時のそのままで残っており(残されているのではない)時間の経過と共に、現場に爪あとが消えてきているのでは?とさえ感じた。これでは4年前の悲劇は遠い過去の記憶の1コマに過ぎなくなってしまう・・・
事故を風化させないためにも、この現場の早期の保存活動を願うところです。
今日は献花者が多く訪れたため、仕切りが立てられたりとちゃんとした現場のようですが、普段は仕切りなどなく、壁のキズ等を外にさらした状態です。
今回感じたこと
これまで、遺族の方々の生の姿を見ることはあまりありませんでしたが、今日献花台や焼香台に行き、現場の傷跡を見つめる人、現場を見て泣いている人を多く目にしました。又、現場の近所に住んでいる方々も足を運んでいたようでした。
運転士1人の精神的疲労がこれだけ多くの人を悲しませる結果を生んでいる。そんな状況を作りこんでしまったJR西日本は確かに良くありません。しかし、自分も含めてですが路線の高速化によって満足し利用し続け、更なる高速化を願う声もあったのは事実です。
国鉄の赤字路線からJRのドル箱路線に変わる過程で、私達は過剰な期待をし過ぎてしまった結果でもないでしょうか?
こんな悲劇を2度と繰り返さないためにも、JRだけの責任ではなく皆が自分の事としてこの事故を学ぶ必要があると思います。
当時は70km/hでした。今はどの電車もこの表示よりも遅く走っています。
安全を願い、事故車と同型車が現場を通過。車掌はマンションに向かって頭を下げていました。
(この時、私の姿がNHKカメラで撮影されていました。)
悲劇は繰り返されていた?
実は今回、もう一つ鉄道事故現場に訪問しています。それは、信楽高原鉄道正面衝突事故の現場です。
平成3年5月14日。高原鉄道の定期列車とJRからの乗入れ臨時列車が単線上で正面衝突。死者42名を出した大惨事です。
JRと高原鉄道の利益優先による行き違いが生んだ事故でした。
今、その現場には石碑やモニュメントが設置されており、事故を風化させないよう信楽駅には事故車両の部品などが保管、展示されています。
信楽駅に展示されている事故車の部品。
(セーフティーしがらき)
正面衝突事故現場
ここの石碑に刻まれている文字。
慰霊碑
平成三年五月十四日 午前十時三十五分
ここ信楽高原鉄道単線軌道上に於いてJR西日本直通乗入れ列車と信楽高原鉄道列車が正面衝突し四十二名の尊い命がその犠牲となって失われた
この慰霊碑は犠牲者の御霊のご冥福をお祈りすると共にこれを教訓として二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう
鉄道の安全を祈願して建立されたものである
遺族一同
信楽高原鉄道株式会社
西日本旅客鉄道株式会社
平成3年に二度と大事故を起こさないように誓っていたJR西日本が数年後にさらに大きな事故を起こしている。ここの犠牲者もさぞ報われない気持ちではないでしょうか?
最後に
今日もテレビで事故から4年のニュースが流れましたが、みなさんニュースだけで分かった気にはならないで下さい。現場に行かなくては感じられない、学べないことがたくさんあります。
これらの事故は、経済問題、労働問題など自分達が立ち向かっている問題と直結しています。ニュースや新聞、写真等では感じられない物を得るためにも是非この現場を見てみてください。
byじゅんいち
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4月25日、今日はぼのぼの班のじゅんいち君に誘われて、初めての福知山線脱線事故現場を見に行ってきました。
朝、7時じゅんいち君宅集合
8時頃東名高速で一路、大阪へ!
10時頃 大阪へ向かう道すがら、JR列車事故の話題から、急遽「信楽高原鉄道」の列車事故を思い出す。予定にはなかったが、行く途中ということで寄る事になりました。
10時30分頃 「信楽高原鉄道」事故現場到着
自分の記憶にはなかったが、この列車事故もJR西日本が関係していた事がわかった。現場には、石碑と慰霊碑があった。そこには・・・、平成3年5月14日に「JR西日本直通乗り入れ列車と信楽高原鉄道列車が正面衝突し、42名の尊い命がその犠牲となって失われ」た事。「これを教訓とし2度とこのような大事故を繰り返すことのないよう・・・」の文章があった。
11時頃「信楽高原鉄道」 信楽駅に到着。
駅には、事故を起こした車両の真ん中から折れ曲がった、生々しい表示板や機器類が展示されていた。ここには、「ご遺族の強い要望により二度とこのような列車事故を起こさないという思いと事故の風化を防ぐため・・・」との文章があった。
しかし、もっとひどい福知山線事故が同じJR西日本で起き、その陰に隠れてしまっている今、信楽駅の展示の前には駅で販売している商品のダンボールが高く積まれ、明らかに風化してしまっている現実があった。また、「二度と繰り返さない・・」碑が虚しくあった。
12時30分頃 尼崎の現場に到着。
近くのラーメン店で「関西風?のとんこつらーめん」「焼飯・唐揚げセット」「替え玉」を結構がっつりと食す。
14時頃 再度現場を訪れ、焼香をする。
初めて訪れた現場だったが、列車が突っ込んだマンションには、いまだヒビや削られたコンクリートなど生々しい傷跡が残っていた。電車の架線を支えているはずの電柱も1本が新しいものに変えられ、2本が今もない状態であり、衝撃の大きさを実感できた。
焼香している最中も、福知山線が2・3分おきでひっきりなしに現場を通過していた。車で線路の側道を走ると、そんなに厳しいカーブには感じられなかったが、電車が通過するとかなり内側に傾いて走行しており、電車にとっては厳しいカーブだと思えた。現場から尼崎駅方面への線路も本当に急カーブで、起こるべくして起こった事故だと思う。
現場には4年前の今日という事で、献花台や焼香場などが設けられていた。また、近くにはお地蔵さんや、遺族が書かれたと思われる句碑などが掲げられていた。多くのマスコミ関係者や警察官が目立ち、ものものしい雰囲気での焼香だった。
じゅんいち君がNHKのニュースカメラマンから声を掛けられ、取材され、うしろ姿を撮られていた。
JR西日本の関係者も多くいたと思えたが、信楽高原鉄道線での事故を見て、最近のダイヤ改正の実情をみた後では、ただペコペコしているだけでJR西日本の体制は何も変わっていないのではないか?という不安にかられてしまった。
自分自身での事を正直に言えば、身近にじゅんいち君という事故を感じてきた人がいた事で、今回このような旅行が出来たわけだが、これがなければどこかで自分とは違う世界での出来事と思えてしまう、またそれでも問題なく過ごせてしまう現実がある事に、ひどく悲しみを覚える。今回このような訪問ができ、その事に気付き、考えれた事をじゅんいち君にとても感謝したい。自分でも今後、何か行動していきたいと思えた。
17時頃 じゅんいち君が通っていた大学近くのお好み焼き店で「お好み焼き 350円」「たこ焼き ソース味・しょうゆ味・ポン酢味 各4個計12個入り500円」を購入。
このお好み焼き・たこ焼きが非常においしかった!両方とも外側はパリッとしっかり焼かれているが、中はもっちり半熟!そこにもしっかりとした味があり、とろけるようなおいしさだった。よく関西の人は「お好み焼きをおかずにご飯を食べる」と言われ、ありえな~い!と思っていたが、このおいしさならおかずになる!!と思えた。「お好み焼き」と「たこ焼き」の見方が180度変わってしまった。でも両方でおなかいっぱい!ご飯はいらないかな?(笑)
21時 浜松着 無事に帰って来れました!終日雨が降り、大変な一日だったけど、とっても充実した一日でした!
by よっくん
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今頃気付いたんですけど…![]()
先日の3・1ビキニデーで採択したアピールの賛同者がネットに出てたんですね~
あなたの名前もあるかな?![]()
核兵器なくそう・世界青年のつどい 2010アピール賛同者
当日、投票も行われていたオフィシャルグッズも決まったみたいです!![]()
浜松でも、平和行進の時に買えるのかな?
最近、このピースマーク付きの服着た人をよく見るようになって、ちょっと嬉しいような今日この頃です![]()
by とく
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前回の班会は、お花見
in浜松城公園でしたので、2週間振りのちゃんとした(?)班会です![]()
ぼのぼの班の副班長
西部地域協議会で「副班長を決めましょう」となったのを、結局土壇場で決めることに…![]()
白熱した話し合い(?)の結果、じゅんいちさんに決定!![]()
これからも頑張って!…ま、やる事何も変わらないけどネ![]()
青年の働き方について討論 (予定外のネタ。でもこういうのも歓迎
)
現状
で、どうしたらいい?
連絡事項
意見書・署名に取り組もう!
福島の“カニコー署名”をベースにした静岡版の署名をする予定。
まだ署名用紙のサンプルが届いていないので、来週に意見交換しよう。
浜松労働相談
4/18 (土) 13:00~18:00 浜松郵便局西側
…連絡遅くてごめんなさい。昨日無事終わりました![]()
次回の予定
4/21(火) 20:00~
by とく
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我が古巣から以下の活動報告が送られていきましたので紹介します。。。
おはようございます。
最近、町田でも、桜があちこちで見られ始めた今日、ハローワークに行っても、検索機待ちで、一時間。相談待ちで、一時間半と。待つだけで、体力がしんどくてやっと検索機が、空いても、自分に合う条件がほとんどなく、(普通自動車免許所有・実務経験者のみ)とかがほとんどで、ちょっと、雇用の悪化を直に感じている、ひでじぃです。3/28 夜19時30分より、地区党で、地域班の班会を行ないました。
まず、実態調査に入る前に、軽く路上生活者の事と、全国各地で、派遣村相談会が開かれている記事や、民新の志位委員長の質問記事の読み合わせを行ない、そのあとに、みんなで、少しずつお金を出し合い、おにぎりの具材を買い、米をみんなで、持ち合い一回目、4合の米を炊き、おにぎりが足りなかった為、再び4合の米を炊き、おにぎりをみんなで握り、8名班会に参加のうち、4名ずつに分かれ、20個のおにぎりを持って、路上生活者実態調査と、働く実態調査アンケートを行ないました。まず、第一報として、路上生活者実態調査の報告をします。
当初は、10名に話を聞く予定でしたが、時間が遅かったのと、既に就寝していた人もいた為、声かけ(8名)話を聞けたのが、(2名)でした。
話を聞けた(2名)の実態をお聞きください。
Sさん(60歳)
体調は大丈夫だが、食事は、食べたり食べなかったりして、路上生活歴は3年で、昼間は公園で寝ている。前は、建設会社で仕事していたが、会社倒産して、所持金は1000円。拾った本を集めて、ある程度まとまったら、売りにいっている。まとめて売りに行った本も、300円程度にしかならない。埼玉県大宮出身で、身内とは連絡取っていない。お風呂はどうしてますか。?と聞くと、神奈川県内に、100円で入れる所があるから、たまに入りに行くくらい。3年前に神奈川県相模原市で、生活保護受けて、自立支援センターに行ったことがあるが、出た。
最後に、この生活から抜け出したいか聞いたところ、本人から、はっきり(抜け出したい)と返答が来ました。 この人の、情報原は、ラジオで最近の政治はどうですかね。?と聞くと、(自民党も民主党も)駄目だね。お互いに喧嘩しているだけと。
Oさん(78歳)
体調は、良くないです。町田で、10年くらい路上生活している。食べ物は、人からもらったり、コンビニのごみ箱を・・・ 昼間は、図書館で過ごしている。前は、調査関係の仕事をして、所持金はゼロ。一度、市役所に一人で相談に行ったが、断られた。お風呂はどうしてますか。?と聞いたら、入ってない。デパートなどのトイレで、体をふくくらい。出身は、大阪で、町田に来て10年経っている。最後に、この生活から抜け出したいか聞いたところ、この方も、本人から、はっきり(抜け出したい。)と返答が来ました。
もう一人に話は聞けたのですが、少し酔っていたのですが、「ご飯を食べたとか聞くなんて失礼だ。お前らはそうやってめずらしがっているだけだ」と怒っていたおっちゃん。
「こんな生活をしているんだから、大変に決まってるだろ。生きてるんだから当然食べているさ」と。
お酒を飲んで酔ってはいましたが、お前らに何がわかると言わんばかりの言葉でした。
しかし、そのおっちゃんがぽつりと、「誰かに頼るくらいなら、自分で何とかしてるよ」と。
誰かに何かを頼るなんてとんでもない。自分で何とかすると。
裏を返せば、こうなったのは自分が何とかできなかったからと思っているのではないかなと感じました。
究極の自己責任…。ここを突破してこそ、路上生活をしている人たちとも手をつなげると実感した瞬間でした。
時間も遅くなり、最後にカリオン広場横の地下道に行きました。3名が既に、就寝していましたが声かけをしました。
時間がなかった為に、おにぎり食べて~と声をかけたら、快く(あーあ。すみません。ありがとうございます。)と受け取ってくれ、(今度、また声かけさせてもらうからさ、その時に話聞かせてよ。)と言うと、(お願いします。)と返答がきました。この3分後に、共産党のチラシを再び置きに行った時に、一人の男性は、今まで寝ていたが起きて、おにぎりをゆっくり食べていて、(美味しいですか。?)と聞いたら、(ここのところ何も食べてなかったから、美味しいです。)と
途中で機嫌を損ねた方の気持ちもわからなくはないと思いました。現代社会から、ドロップアウトして、話す相手もいない。精神的に追い詰められている中で、自分の不安な状態を、どこにも吐き出すところがない。そんな状態だったんだと思います。
今回は、町田地区地域班初の試みでしたが、他の地区で行われている調査より、規模は小さいかも知れませんが、結果は、どうであれ、路上生活者に声をかけ、実態が少しでも聞けたのは、よかった事だと思います。
今回の反省すべき点を、次回に生かして、より多くの人の声を聞いて、助けを待っている人を、サポートして行けたら良いと考えてます。
知らない人間同士でも、声を掛ける事で、個人個人の持っている悩みや不安を聞く事により、救える命があると思います。。それは、路上生活者でも、おかえりなさい宣伝で声を掛けた人でも、一人が二人につながって、二人が今度は三人につながって、新たな出会いが生まれ、そして新たな絆が生まれ人間は新たな次のステップに進んで行けると思います。
声を掛ける回数を重ねて、今度は向こうの方から、(おっ。共産党か。おっ。民青同盟か。)と言われるように全員で、頑張って行けたらいいなーと思っています。
長くなり申し訳ないです。
m(_ _)m
浜松で、東京で。
街を歩けば路上生活者を目にするようになった昨今。
トドムンド浜松派遣村とほぼ同時に開催されたようです。
「世の中を何とかしたい!」そんな草の根の活動が世の中を動かす。
僕はそう信じています。
byじゅんいち
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